私の最近の作品は、「透明浮遊彫刻」が多いのですが、これらに色彩
はあるのかと考えてみると、「透明の色」というのは「無の存在」という
のと同じ様に、パラドックスに満ちていてちょっとおかしい。割り切れ
ない答えが居場所をなくしてしまう様な、こうした事に私は今、興味
があります。
 色彩は、それに対する筋肉反応によって数値化(ライトートーナス
値)可能な所をみると、目だけで見ている訳ではなさそうです。いず
れにしても身体性に規定される部分が大きい。それは非常に根源的
な事なので、単に受け入れる事しか出来ないのですが、その先をどう
するかが各々の仕事だろうと思います。「おかしい」という言葉から
「可笑しさ」を取り出す事も「怪しさ」を取り出す事も可能です。しか
し全く別の意味だってあり得る訳ですから、私は日常の体験の中に絶
えずある色彩を、イデオロギーから抜け出すチャンスのーつとして捉
えています。                              市川武史
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